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ここ最近のネギまは、やはり「ストーリー構成がよろしくない」の一言に尽きると思います。
・魔法世界のバレ→中断
・総督の呼び出し→中断
・パルのパクティオー指図→中断
・ラカンvsフェイト→中断
・夕映との邂逅→中断
など、ザッと見渡しても大きな流れのフリを行い、中断して話を分断。
思い出したように、再開するといった構成が続きすぎです。
これでは、前振りが何だったかも忘れてしまうし、何より読者が感じる物語の勢いを、バッサリ断ち切っちゃいますよね。
いかに、そこに入れたエピソードが良くても、効果的な盛り上がりは得られないと思います。
【3月16日、赤松先生の日記より抜粋】
> 246話目、順調なのですが、やっぱバトル漫画としては構造が複雑すぎ。
> しかし単純に18ページ全部をバトルにしてしまうと、「今後バトル漫画に
> なるんだな」と読者に受け取られる恐れがあり、結局日の丸弁当にプリンを
> かける様な(うわ~)感じの調理になってしまいます。
> つまり白飯(バトル)7杯の後にプリン(美少女)が3杯あるメニューの場合(*1)、
> シェフは後でプリンが来るのを分かっているのですが、客は白飯ばかりの料理だ
> と思いこんでしまうはず。だから最初から白飯に少量のプリンをかけて10杯分
> 出している感じです。
> う~ん・・・? どうなんだコレ。でも数字が良いから案外大丈夫なのかな?
>
> (*1):そもそもそんなコース料理作るなって話ですが。(^^;)
コレを見るに、もう前提からおかしいような。
白飯とプリンだけのコースではなく、オードブル、 スープ、パン 、魚料理、肉料理 、デザートを考え、それぞれに合わせて、どのような料理を持ってくるのかを、考えるべきなのだと思います。
客に白飯とプリンだけを食わせるのは、献立としていかがなものでしょう?
まぁ、ものが例え話だというツッコミもあり得るので、その場合は――
白飯の後にプリント別々に食べた方が、まだ、両方とも美味しく感じます。
白飯にプリンをかける料理が不味いのは自明の理。
ならば、例えば白飯をミルクで炊き、デザートに合わせる工夫をするべきではないでしょうか?
そういった創意工夫が、今のネギまには欠けている感じがします。
バトル漫画だといえばラブコメの、ラブコメ漫画と言えばバトルの要素を入れている、融合したもの。
という論は、一見すると素晴らしく思えますが、
完成に至らない(もしくは正しく読者に伝わらない)状態は、単純にどっちつかずを見せているだけで、
常に定まらない方向性を明言しているだけじゃないでしょうか。
そのために常に後出しの展開で、ネギの有利になるようにフォローと構成がされているのでは、
ストーリーに緊張感が無くなるのではないかと、思うのですが……
まぁ、この辺は今までの繰り返しになってしまうので、この辺で。
【パクティオー!】
261話目に仮契約した古菲ですが、あれだけ強さにこだわっていたのに……
腕相撲が強さの証って(爆)
拳法家。 腕力が=強さでないと拳法の、しかも北派を納めるものが、その考えはいかがなものだろう。
まぁ、床をぶっつぶす腕相撲も総督府でやることではないのだが、それ以前の問題として、
総督府に行くまでに何かしらのバトルエピソードを挟むべきではなかっただろうか?
古菲のデレが可愛かっただけに、残念無念。
そのパクティオーに関して、キャラクターの表情など、良い面もあるのですが、
それ以上に、やはり軽率で軽薄な面が前面に出ていて、大事な場面が軒並み削られたような気がします。
唯一例外だったのは、コタローと夏美のパクティオーですね。
以前よりフリがあって、それを回収する流れがキチンとできていたし、
何より「義務感でキスするのは嫌だ」という、夏美の意志と
「それでも守らせて欲しい」というコタローの意志がきちんと現れていました。
キスというのを前提とした行為に、互いが迷う心を整理して、心からの言葉を口にする。
実にラブコメ・テイストで良かったと思います。
っていうか、昔のパクティオーはコレが当たり前じゃなかったですか?
まぁ、まずもって問題はパルにあるわけですが。
どう受け取っても、彼女のパクティオーのススメは遊び半分、興味本位としか感じられません。
如何に状況を自分の欲求的におもしろおかしくするか。
他人の事情より自分の欲望を優先する、自己中心的な言動が甚だ目に余ります。
その無責任な暴走行為を、明日菜や千雨、アキラといった良識派が止めてやるとか、批判するとか有っても良いと思うんですけどね。
その上で、コタローが夏美を説得したように、理性においても感情においても納得のいく理屈を通して、パクティオーさせるのではダメなのかな?
今回は朝倉も後押ししてる感じがあるし。
うむむ、私の中で朝倉は、ラインの見極めをキチンとしているイメージがあったんだけどなぁ。
【パクティオーで身は守れる?】
さて、パクティオーで本当に、身が守れるのかといえば、かなり怪しいところがあります。
まず、パクティオーの効果は、「アーティファクト」「契約執行」「念話」「召還術」とありますが、
「アーティファクト」に関しては、果たして身を守れるものが出るか否か? 運でしかありません。
千雨や夕映のように、戦闘に直接参加できないカードが出た場合、自身の能力だけが頼りとなります。
次に契約執行です。
パクティオーを使用して、魔力を従者へと渡すのが「契約執行」ですが、
コレを行わないと、従者が魔力による肉体強化を行えないわけです。
エヴァに弟子入りした頃のネギは、4人に契約執行3分間+全方位魔力障壁+199本の魔法の矢で、魔力が尽きてました。
あれから、「精神力の強化」や「術の効率化」はされていると思いますので、
魔法障壁や魔法の矢については使用魔力が減ったかも知れません。
ですが、契約執行は「主から従へ」『魔力』を渡している。
つまりは「精神力の強化」も「術の効率化」も関係ないと考えられます。
強いてあげるならば、魔力を受ける側が効率化できるであろうぐらいですか。
さて、今回のパクティオーしたメンツを加えて、計11人。全員に契約執行をした場合、どれだけの魔力消費になるのか分かりませんが、凄まじい量を取られるのは間違いないでしょう。
さらに、呪文を唱える主が側にいない場合は、そもそも使用すらできません。
自由意志がない分、不確かなものになるのは否めないと思います。
次に、念話と召還です。
これは今のところノーリスクであると思われますが、身を守ると言う概念からは、いささか外れるような気がします。
故にパクティオーをすることで、最もリスクの少ない身の守り方は、
『安全な所に隠れていて、事が終わったら念話で連絡を受け、召還でネギの元へ現れる』
といった方法ではないでしょうか?
が――これは別にパクティオーしなくても、
楓のアーティファクトの中に隠れているだけでも成立してしまいます。
これらを考慮すると……
現時点でパクティオーは、身を守るという概念からだと、不要だったと考えられます。
逆にパクティオーをすることで、相手側からは完全に戦闘要員と数えられてしまうでしょう。
相手側からしてみれば、どのようなアーティファクトを持っているか分からないのですから、
場合によっては問答無用で排除にかかるのではないでしょうか?
まぁ、仮にパクティオーすれば、最悪の状態は「契約執行」で身を守れると仮定したとして、
それならば、最も戦闘力がないと思われる運動部を優先させるべきで、
単純に戦闘能力の高い、古菲や茶々丸からするべきではないと思いますけどネ。
しかも、このまま続くかと思われたパクティオーも、勝手に設定したタイムリミットで終了。
正直、パクティオーが出したいが為に、無理に話を作ったように思えてなりません。
後付けでもこの際良いですから、キチンとした説明が欲しいと思います。
パクティオーのバーゲンセールが悪いとはいいません。
だが、そのためにキャラの内面描写をはしょったり、ストーリーの整合性を犠牲にするのは
トータルで見た場合、マイナス要因だと思うのですけど、いかがでしょうか?
といっても、書き込んだのはかなり前なのですが…(汗
>ストーリー構成
…確かに、バッサリと中断させまくってますねw
伏線の張り巡らせ方と回収の仕方では、これでも十分フォロー出来るし、相乗効果で盛り上げることもできるのだけど、ネギまに関しては機能していないと思います。
私も料理に例えるのは好きなのですが(以前、某ファミレス店長だった経験と、「海賊島事件」という小説の影響w)、どうも赤松センセは材料を用意する、(見栄えを考慮した)盛り付け、は得意だけど、混ぜ合わせる、(味を考慮した)盛り合わせ、は不得手なのではないでしょうか?
だから、エピソードを一つ用意しては中断、もう一つ用意しては…、という流れになってしまうのではないかと(AとBを一緒にして食べる、とかそういう考えは浮かばないのではないかと)。
あと、
味に例えれば、甘く、軟らかく、消化しやすい。典型的な子供に好かれる味です。
しかし、一方で、味に深みがない(なんか、スパイスとなる要素が感じられない…)、歯ごたえがない、結果として、舌の肥えた人にはいま一つの評価、顎や臓器が弱くなる、そんな印象を受けます(その影響として、読者層の大部分はハードな展開を好まない傾向にあると思います)。
バトルもラブコメも上手く混ざれば相乗効果で盛り上げることは可能ですが、現時点では水と油で混ざっていないので、どっちつかずの印象がぬぐえないのではないでしょうか?
赤松センセ、元々理系の人間だったせいか、どうも0か1で考えてしまう傾向がある気がします。
>パクティオ
腕相撲ってなんじゃこりゃ、って思いました。
最初に話があがったのが去年の12月だから、9か月も伸ばしてこれかよ、とw
確かに、気は肉体から発するという設定だから力はあるでしょうけど、戦いは力が全てぢゃねぇ…。
>確かに、気は肉体から発するという設定だから力はあるでしょうけど、戦いは力が全てぢゃねぇ…。
ですよねー。 かなり肩すかしを食らった感じですわ。
八極拳士の名が泣くぞー
(わかってるのなら、巻末のウンチクに載せるはず)
>うでずもう
強さ=身体のポテンシャル、この図式を否定するために、先人は技術の研鑽を重ね、その結晶が武術だというのに(自身で鍛錬を重ねれば重ねるほどそれを感じます)。赤松センセはそれがわからんのかとwww
余談ですが、くーが学んでいる武術に関して少々私の考察を。
>形意拳&八卦掌
この二つは本格的に学んだとのこと。おそらく古家で継承しているものかと。しかし、古緋は形意拳は地味、八卦掌は威力に欠けると思い、好みではなかったのでしょう(中国武術研究会の会長をやってたり、格下をたたきのめして悦にいったりしていることから、派手好きで攻撃的な性格だと思います)
>心意六合拳
一説には形意拳の祖とも言われる流派なので、興味を惹かれたのでしょう。しかし、傍目には奇妙な動作に見えることから、そんなにはやり込んでいないと思います(赤松センセが資料を持っていなかったのかも?w DOA2でもやればよかったのにw あれは実際のモーションをキャプチャしています)
>八極拳
これは、威力がある、豪快な動作、メディアの露出が多い、ことから一番興味を惹かれたと思います。ただ、本格的にやっていないから、本来接近戦が八極拳のウリなのに、飛び込んで攻撃というパターンが殆ど(ネギ君もそう。彼は覚えることは得意だけど、本質の理解や応用は苦手だと思います)。
それでも強かったのは、気の容量が多く、攻守の増強がなされていたからだと思います。
最後に。
習熟度
形意拳>八卦掌>八極拳>>>心意六合拳
使用頻度(≒好み)
八極拳>形意拳>>八卦掌>>>心意六合拳
以上、長文駄文失礼致しました
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