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 スパロボとネギまについて、色々一人言。
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 魔法先生ネギまのお話。

いよいよ次回(なのかな?)に、ネギが夕映から

「世界各地で苦しんでいる人々を、魔法で救うことができる」
「この革命によって、超は、不幸な未来を回避することができる」

の2点をふまえて、尚、超を止めねばならない論理的根拠を示される展開のようですが、
 この夕映の論理的根拠を推測……というか、自分なりに考えてみました。

その結果として、以下の点が上げられます。


 : まず、ネギがタカミチから提示されて、最も頭を悩ましている点は、
 「魔法が世間に知れ渡れば、もっと多くの困った人を助けられる」ということでしょう。
 なるほど、一つの理屈です。

 ですが、この問題には致命的に無視した部分があります。
 それは、魔法が世間に表だったために、魔法使いが迫害を受けたり、もしくは魔法を悪用しようとする人が出てくることです。

 残念ながら世の中では、肌の色や宗教観の違いのために、迫害や争いが絶えません。
 もし魔法使いという存在が公になれば、当然の如く、その能力に畏怖する人々や、宗教関係者との血で血を争うことになるでしょう。 それは一つ間違えれば、中世魔女裁判の繰り返しに発展するかもしれません。
 銃というものが発明され、与えられた利点、そして起きてしまった欠点を考えれば、魔法がどのような道を進むのか、自ずと想像できてしまうところであります。
 もちろん道具は道具、意図するべきものでなくても、ダイナマイトのように使われてしまうことは、想像に難くありません。

 また、「多くの困った人が~」とありますが、数を多く助けられればいいのでしょうか?
 100人の困った人がいて、仮に1人しか助けられなかった場合、それは「失敗」「間違っていること」なのでしょうか?

 戦場の未帰還兵を助けるために、戦地へと救出に行く部隊が、一人しか助けられず、また、部隊にそれ以上の死傷者を出してしまった場合、その作戦は失敗でしょうか? 死傷者は無駄死にでしょうか? 助けられた未帰還兵に助けられた意味はなかったのでしょうか??

 数字だけでものを見るのは必要なことです。 ですが、それが正しいかどうかは別問題だと思います。
 困った人を助けるのは「数の大小」や「損益」で比べるものでは無いと思います。
 できないことは無い物ねだり。でも、自分の手の届く範囲の事は、取りこぼしのないように、できるだけ拾い上げ助けていく。

 ――何が正しいかと言えば、それが正しいと思うのですが、どうでしょうかね?
 いや、正しいかそうでないかと言うより、自分はそうあって欲しいと願うのですが。

 つまり、どちらがよりよいことを比べること自体が、かなりナンセンスで、少なくとも今回の事件は、首謀者の超より何も明かされていない以上、目の前で困っている、もしくは困ってしまうものを助けるが、正解だと私は考えています。

 何より、教師としてネギくんには、「人が困ることをしてはいけない」ということを、超に真正面から言って欲しいものです。
 例え青臭かろうと、偽善と言われようと、最初に超を助けたときに、教師と生徒であると啖呵を切ったのですから。

 

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