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「小さな身体にゴリラ並みのパワー!! 貧そーなバディにもかかわらず~」
10巻89話目、まほら武道会予選の実況において、朝倉和美は古菲をこう評していた。
中国拳法の達人である古菲は、身長151cmと格闘家としては小柄な部類であり、身長に応じて体重も軽量である。
格闘技において、身長の低さはリーチの減少、体重の少なさはパワーのなさを表すものであり、反面、スピードの上昇を示すものである。 (もちろん、長身でパワースピードともに兼ね備えたものもいる)
だが、武道、とりわけ中国拳法の北派に属するものは、腕力=打撃力という公式を本質とはしていないのである。
拳法が、近代的に洗練された時期について諸説あるが、自分は清の時代だと思っている。
清は、漢族が北よりの進行に屈して建国されたわけだが、北の満州系は肉食が多く、身体が大きかったのだ。
それに対して漢族は、比較して身体が小さかったので、身体の大きさ=パワーに対抗する術が必要とされたのではなかったかと思う。
それが、腕力が打撃力に直結するのではない、拳法が洗練されていった背景ではないかと考えている。
もちろん、例外は存在するし、あくまで私の想像の部分は多分に含んだものだが、この後の枕詞として止めてほしい。
当時の漢族の平均身長が150~160cmぐらいである。
つまり、その体格の人間が、180cm以上の偉丈夫達と立ち向かう術が拳法であると考えるならば、151cmの古菲は、決して小さすぎるというわけでない。
また一説によれば、「師、もしくは創始者とリーチが1cm違えば、同じだけのタイミングと力を得るのに、1年はかかる」とも言われている。
その辺りを考慮すれば、むしろ古菲の身長は、北派の拳法を行うのに適していると考えることもできる。
そして、このことは、古菲の体格においてもいえるのだ。
北派拳法においては、余り筋骨隆々の体格の人間は多くない。 むしろ達人には、なで肩が多いという話がある。
もちろん、必要なだけの筋力は有しているが、ガチガチな人はほとんどいない。 筋肉で関節の動きを阻害しないようにするためだ。
筋肉は付きすぎると、己の筋肉によって関節の可動域を減らしてしまう。
例を挙げるならば、あのアーノルドシュワルツェネッガーは、全盛期の筋肉ムキムキの頃、背中に手が回らなかった……などの逸話がある。
また、アマゾネスなどは弓を引くのに邪魔なため、片方の乳房を切り落としたなどの話もある。
貧相なバディが胸襟の動きを阻害していないと仮定するならば、形意拳・五行拳の一つ、胸襟の開きで打つという炮拳などには、有利ではないかと愚考するところだ。
ちなみに、南拳の多くは剛の力を主とする、したがって筋肉の量、動作速度、身体の素質を高めていくことに重きを置く。
何度でも記すが、北派では筋力で打撃を行うのではなく、全身の力を余すところ無く打撃に乗せる打ち方をするのだ。
したがって、古菲の身長・体格は、彼女の格闘スタイルには適切であり、適切であるが故に、身長・体格・バディなのだろう。
逆説的にいえば、古菲は今後も、貧そーなバディであると、いえるかもしれない(笑)