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最も一般的な分類は、その門派が伝承されている地域により、分ける方法です。
長江の北から黄河流域にかけての一帯で伝承されている拳法のことを「北派拳法(ほっぱけんぽう)」
広東省・福建省を中心とした珠江流域一帯を伝承地域とするものを「南派拳法(なんぱけんぽう)」と称します。
北派と南派に属する拳法は、それぞれに共通した技術的特徴も多く見られます。
次に、中国拳法を技術的観点から分類するのが、「外家拳」と「内家拳」です。
外家拳は、鍛え抜いた肉体から生み出される筋力と、鋼のごとき肉体で、技を打ち出す拳法です。
主として、肉体を直接的に鍛える練習を行うため、初期の段階までの上達が早いのが特徴とされています。
内家拳は、筋力に関係なく、身体の内部から発せられる力(気功)に、技の根源を求める拳法です。
呼吸法や基本技を練習することで、技法の上達を求めるのを特徴としています。
その他にも、「架式(かしき)」という、姿勢や動作の大きさで
分ける方法や、門派が最も得意とする攻撃技によって分類する方法などもあります。
これらのことを、「あー、こんなのがあるんだなぁ……」程度に覚えてくださると、本文が分かりやすくなると思います。 あくまで概念を記したものですので、省略部分も多いであしからず。
まずはネギ・スプリングフィールド、古菲、超、フェイトなどが使っている「中国拳法」にスポットを当てて考察していきます。
使用者が多い、主人公が使っている……等の理由はありますが、
私が考察しやすかったので(爆) まぁ、趣味の問題です。
中国拳法の考察に入る前に、まず拳法とは何かを記したいと思います。
専門用語が多いので、その解説ルビの代わりだと思っていただいてもかまいません。
「明日のためその1」だと思ってお付き合いください。
・本来中国拳法とは、中国に存在する拳法、数多の徒手格闘技の総称で、ひとつに体系化された技術を表すものではありません。
個々の特色と独自の技術体系を持っています。
中国拳法では、その枠に属する拳法を「門派(もんぱ)」と呼び、分類します。
中国拳法を学ぶ者は、そのいずれかの門派に属することで、個々の特色と独自の技術体系を習得していくことになります。
門派は数多く存在し、それぞれ異なる特徴を持ち、
いくつかの共通点において分類することができます。
分類方法は、伝承地域と技術によってわけるのが一般的です。
魔人師兄
「――と、いうわけで。魔法先生ネギま!に登場するキャラクターの戦闘能力について、考察を行うように頼まれたわけだが……正直、めんどくさ――」
チャチャゼロ
「(チャキッ)御主人ノ頼ミガ、キケネーッテノカ?」
魔人師兄
「いえ、誠心誠意答えさせていただきますので、なにとぞ、この頸動脈に突き立てている刃物を収めてください。お願いいたします」
チャチャゼロ
「チッ!根性ネェナァ(チャキッ)サッサトハジメロヤ」
魔人師兄
「とは言っても、解説すべき戦闘能力を持つ人間が多すぎるんだ。しかも多岐に渡りすぎていて、とてもじゃないけど全部はお手上げだね」
チャチャゼロ
「初ッパナカラ手抜キカヨ」
魔人師兄
「まぁ、言いたいことはわかる。だけど、魔法のことなんかも含めて考察するのだとすればだ、魔法の専門家の考証も必要になる。要するに大雑把な説明か、専門的な説明かの二択になるわけだ」
チャチャゼロ
「ケチクサイコトイッテンナ」
魔人師兄
「無い袖は振れないのでね。 その代わり時間があったら、魔法なんかもキチンと考察していくので、カンベンしてくれ」
チャチャゼロ
「ンジャ、サッサトハジメロヤ」
魔人師兄
「了解だ。それじゃ、早速始めようか」
魔法先生ネギまのお話。
いよいよ次回(なのかな?)に、ネギが夕映から
「世界各地で苦しんでいる人々を、魔法で救うことができる」
「この革命によって、超は、不幸な未来を回避することができる」
の2点をふまえて、尚、超を止めねばならない論理的根拠を示される展開のようですが、
この夕映の論理的根拠を推測……というか、自分なりに考えてみました。
その結果として、以下の点が上げられます。
: まず、ネギがタカミチから提示されて、最も頭を悩ましている点は、
「魔法が世間に知れ渡れば、もっと多くの困った人を助けられる」ということでしょう。
なるほど、一つの理屈です。
ですが、この問題には致命的に無視した部分があります。
それは、魔法が世間に表だったために、魔法使いが迫害を受けたり、もしくは魔法を悪用しようとする人が出てくることです。
残念ながら世の中では、肌の色や宗教観の違いのために、迫害や争いが絶えません。
もし魔法使いという存在が公になれば、当然の如く、その能力に畏怖する人々や、宗教関係者との血で血を争うことになるでしょう。 それは一つ間違えれば、中世魔女裁判の繰り返しに発展するかもしれません。
銃というものが発明され、与えられた利点、そして起きてしまった欠点を考えれば、魔法がどのような道を進むのか、自ずと想像できてしまうところであります。
もちろん道具は道具、意図するべきものでなくても、ダイナマイトのように使われてしまうことは、想像に難くありません。
また、「多くの困った人が~」とありますが、数を多く助けられればいいのでしょうか?
100人の困った人がいて、仮に1人しか助けられなかった場合、それは「失敗」「間違っていること」なのでしょうか?
戦場の未帰還兵を助けるために、戦地へと救出に行く部隊が、一人しか助けられず、また、部隊にそれ以上の死傷者を出してしまった場合、その作戦は失敗でしょうか? 死傷者は無駄死にでしょうか? 助けられた未帰還兵に助けられた意味はなかったのでしょうか??
数字だけでものを見るのは必要なことです。 ですが、それが正しいかどうかは別問題だと思います。
困った人を助けるのは「数の大小」や「損益」で比べるものでは無いと思います。
できないことは無い物ねだり。でも、自分の手の届く範囲の事は、取りこぼしのないように、できるだけ拾い上げ助けていく。
――何が正しいかと言えば、それが正しいと思うのですが、どうでしょうかね?
いや、正しいかそうでないかと言うより、自分はそうあって欲しいと願うのですが。
つまり、どちらがよりよいことを比べること自体が、かなりナンセンスで、少なくとも今回の事件は、首謀者の超より何も明かされていない以上、目の前で困っている、もしくは困ってしまうものを助けるが、正解だと私は考えています。
何より、教師としてネギくんには、「人が困ることをしてはいけない」ということを、超に真正面から言って欲しいものです。
例え青臭かろうと、偽善と言われようと、最初に超を助けたときに、教師と生徒であると啖呵を切ったのですから。